the ring and the knot

迷ったら勇気の要る方に舵を切れ fukken (fukken) on Twitter (via yagi)
ピーター・ドラッカー95歳の詩

もう一度人生をやり直せるなら・・・・

今度はもっと間違いをおかそう。

もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。

絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。

この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。

もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。

もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。

もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。

もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。

もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。

もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。

もう一度人生をやり直せるなら・・・・

だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。

私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?

自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・

もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。

人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。

- P.F.ドラッカー 享年95歳-

ピーター・ドラッカー95歳の詩 – Apelog

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(via kinoshitalab)

だからこそ、模型が好きなら【積む】だけでなく、【作り倒す】べきなのです。それしかありません。 浅香弘司の戦車模型・超雑技術指南2 : 【緊急】 追悼・大出嘉之様
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1600688

「~個人の領域に閉じこもるより、経済プロセスの中心に飛び込んでその中から新しい芸術概念を作り上げて、経済システムを変えていく方が意味がある。」 美術家 ヨーゼフ・ボイス

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(via nnnsht)
いまの多くのアートや芸術と称するものは、当然ながらまったく人類がいま直面している限界や到達点なんかと何ら関係ない。社会問題を扱いたがる人々は、それが人類の限界を示しているつもりなんだろうけれど、往々にして調査不足のおかげでただの自分の思いこみの限界を示すだけに終わっている(だからつまらない)。かつてのキュビズムなりダダなり表現主義なりは、技術進歩に伴ってどんどん拡大する人間の制約になんとか追いついていた。それがいまや、一部の例外をのぞいてはまったく実現できていない。  それはSF、あるいはもっと広義の小説を含め、いろいろな芸術分野一般に言えることだ。近代SFの重鎮であるジュール・ヴェルヌの考案した各種技術やその応用は、当時の科学の成果を十分にふまえ、それをさらに発展させたものだった。H・G・ウェルズは、十九世紀から二十世紀初頭を代表する一大知識人だった。スタニスワフ・レムもそうした存在であり、日本では小松左京は時代を代表する大知識人だった。かれらはその時代の人類の到達点/限界を十分知っていたし、それを超える可能性を考えていた。いまは? そんな人はまったくいない。それがSFのつまらなくなった理由の一つでもある。演劇、音楽、みんなそうだ。それを何とか回復できないものか――それが芸術なりアートなりの一つの課題だろう。いま、人類の限界を扱っているアートや芸術は本当に少ない。それをどう増やすのがいいだろう。

diatxt. 連載 #8 (via nanospectives) (via liefujishiro) (via nnnnnnnnnnn) (via pdl2h) (via jacony) (via nakano)

ある意味では真実だとおもうが、完全には賛成しない。別の側面からの答えは岸野さんの問いにある